三上山登山


三上山(みかみやま)は滋賀県野洲市三上にある山。一般には「近江富士」として知られる。標高432m。麓には「御上神社」(三上山を神体山として祀る)や滋賀県希望ヶ丘公園がある。
地元の方々は、この山に登ることを日課にしている方が多い。私も月に1回以上は、健康のために登ることにしている。中腹以上に行くと、岩が多いのですが、観光協会などの働きで、登りやすいように整備されている。休日には、家族連れやグループでの登山などを多く見かけます。
「古事記」「延喜式」にも記述が見え、また和歌にも詠まれた由緒ある山です。紫式部が「内に出でて 三上の山を詠れば 雪こそなけれ 富士のあけぼの」と詠んだように「近江富士」という愛称がある。藤原秀郷(俵藤太)による大ムカデ退治伝説が残ることから「ムカデ山」の異名も持つ。
中世以降、周囲の山々が燃料などの採取目的に伐採が続けられて、大規模に禿山化して行ったが、三上山は取り残されたように青々とした山様を維持した。このことからランドマーク的に存在感を増し、松尾芭蕉が「三上山のみ夏知れる姿かな」と詠んでいる。
(三上山は、第7代考霊天皇6年6月18日(紀元前約296年)、天之御影命(御上神社の祭神、天照大神の御孫)が三上山の山上に御降臨し、それを御上祝(みかみのはふり)(神主)が三上山を神体(神奈備)として祀ったのに始まると伝える。その後、代々神官を務める。)

毎年6月18日未明、祭神御降臨のこの日に登頂し、神迎えの「山上祭」が行われています。 
三上山の登山道は、公式には3ルート(三上側からは表登山道と裏登山道、近江富士花緑公園側からの登山道)がある。表登山道は山頂付近に急坂や岩場が多く健脚向きです。裏登山道は表登山道よりも緩やかです。両コースとも、ここから山頂まで約40分~1時間。表登山道の岩場付近からは南西方向の展望が可能で、琵琶湖や比良山系が一望できます。山頂付近の岩場からは、野洲川・金勝山系、飯道山等が遠望出来ます。 
また、三上山の中腹を三上側から近江富士花緑公園側を通って一周するコース(中段の道)には、岩場もなく初心者が楽しくウオーク出来ることで人気があります。
 
 
 上の写真は「三上山」、下の写真は「三上山の男山(432m)(左)と女山(右)」
 
 
 上の写真は「三上山登山の地図」、下の画像は三上山登山のルートと距離
   
 御上神社鳥居 御上神社本殿(国宝) 
 
悠紀斎田
天皇御一代の大嘗祭に当たっては、古来宮中に於いて、亀卜を行はせられ、悠紀(ゆうき)と主基(すき)の両斎田を御定めになる習はしてあります。
 昭和3年11月10日、昭和天皇の御即位式挙行に際し、悠紀斎田を滋賀県に、主基斎田を福岡県に勅諚遊ばされたので、滋賀県では、御上神社の神饌田になっている田地等を含めて、約一町歩を斎田に、大田主を粂川春治に選定して、県民挙って奉耕の誠を捧げて献穀の大任を果たしました。因って、この意義深い伝統を後世に伝えるため、御上神社奉賛会では、悠紀地方記念会の協賛の下に各界から浄財を募って、この記念碑を昭和45年に建設しました。
毎年5月には「御田植祭」として昔ながらの服装で田植が行われています。
   
 天皇皇后両陛下行幸啓記念碑  昭和大禮大嘗祭悠紀斎田記念碑
   
 悠紀斎田 三上山登山道の案内標識(悠紀斎田の所) 
 
   
 表(裏)登山道案内標識  表登山道入口手前の「妙見宮」(北斗七星、北極星を「妙見さん」として信仰。「妙見」を守護神として崇拝:妙見信仰)
   
表登山道入口(猪除け)と奥に「魚釣岩」  入口から妙見堂跡まで約200段の石段が続く 
 

魚釣岩

大昔、琵琶湖の水位がこの付近まであった頃、神がこの岩の上から魚を釣っていたといわれ「魚釣岩」と呼ばれています。

三上山は野洲市最古の古生層で形成されており、山頂付近は大きな岩石が露出しています。
 
   
裏登山道から表登山道に合流する地点の標識  妙見堂跡
   
 山頂へ(右方向)、「中段の道」(左方向)  「二越」にある標識。20m先に「二越岩」展望台。
   
「二越」から裏登山道の「打越」へ行く道   表登山道の「割岩」20m地点の標識
   
 表登山道の「割岩」10m地点の標識  割岩を下方から写す(岩が真っ二つに割れている)
   
 割岩:人間一人がやっと通れる程度 割岩から上の岩の登山道 
 表登山道中腹からのパノラマ写真
   
 表登山道中腹からの展望
(手前:野洲川、中央:栗東市、奥:大津音羽山)
 表登山道中腹からの展望
(手前:野洲川、中央:守山市、奥:琵琶湖・比叡山方面)
   
表登山道から山頂へ行く途中の登山道の様子 
   
表登山道の山頂付近の登山道の様子 
   
 山頂の展望台(湖南市方面) 山頂にある「奥津磐座」(神が宿る所) 
 
展望図(山頂の展望台) 
   
 展望台付近の岩場  奥津磐座
   
 御上神社の奥宮(中央)  三上山山頂の標識(432m)
   
 山頂付近にある標識 山頂を示す標識(432m) 
 
三上山山頂展望所からの景色(野洲川・守山市街・琵琶湖・比叡山) 
 
三上山展望所からのパノラマ写真(栗東市・草津市・大津市方面) 
 
   
 裏登山道・天保義民碑標識  三上地区は県立自然公園
  天保義民碑(三上地区)
天保一揆は、天保13年(1842)矢川寺(現在の矢川神社)の鐘の合図で起こりました。
この騒動は、幕府役人が五尺八寸の間竿に六尺一分の目盛りをして、公然と不正検地をし、年貢増徴を図ったことに起因しています。
甲南、三雲、北杣、石部、野洲の百姓達が三上藩陣屋に向かって土地検地の取りやめを願って迫りました。
 幕府役人に検地を十万日日延べする証文を書かせて一揆は勝利しました。
しかし、騒動が収まってから、幕府の役人に、主謀者が捕えられ、江戸に送られて獄死しました。明治時代になって、罪が解かれ、上記の各地に義民碑が建てられました。
   

保民祠

保民祠は天保一揆の犠牲者を顕彰し、その義挙の精神をいつまでも後世に伝え、義民の遺徳を偲ぶために、保民祠は明治26年(1893)に、天保義民碑は明治28年(1895)に建立されました。保民祠は平成4年(1992)に建替えられました。
保民祠は天保義民碑の傍にあります。
   
 裏登山道入口前の所:御上神社御旅所  裏登山道入口前の広場(自動車や自転車の駐車可)
   
 裏登山道入口(猪除けの柵がある) 分岐点~裏登山道(右)、表登山道(左) 
   
 裏登山道の様子 裏登山道の「打越」地点 
   
左方向:「打越」から山頂へ、右方向:中段の道へ  「打越」から女山方面への道 
   
裏登山道の山頂へ向かう道 
 
姥の懐(うばのふところ)

この辺りは谷が深く、また大きな岩がいたるところに地表から突き出し、古くから「姥の懐」と呼ばれています。
天保一揆の時、江戸幕府地検役人の市野茂三郎らが前方の岩陰に逃げ隠れたといわれています。
他にも「俵藤太の百足退治」伝説にちなんで

「むかでの穴」とも呼ばれています。
この穴は、巨大な岩の下にあり、現在では、雨宿りにも使われています。
 
   
「姥の懐」を裏登山道から写す。左:洞穴(懐)のある所、右:続いている大きな岩盤 
苔が谷
三上山を西側より眺めると山頂付近が割れて見えますが、この辺りが割れ目に位置し、また苔が多く繁殖している所から「苔が谷」と呼ばれています。
左側(東側)に見えるのは滋賀県希望ヶ丘公園で各種スポーツや広い芝生ランドでレクリエーションが楽しめます。右側には近江富士花緑公園があり、植物や花木に触れあうことが出来ます。
 
   
 苔が谷付近にある御上神社の祠  苔が谷付近の展望所から希望ヶ丘公園方面




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