九州北部紅葉紀行


秋の紅葉の時期に、今年は九州北部(主に福岡県内)の紅葉を楽しむため、令和元年(2019年)11月25日(月)・26日(火)に新幹線で訪れました。これら紅葉の名所の様子を次に紹介します。

宝満宮竈門神社⇒清水寺本坊庭園⇒太宰府政庁跡⇒坂本八幡宮⇒秋月城跡⇒麻生大浦荘


宝満宮竈門神社

宝満宮竈門神社は、福岡県太宰府市にある神社。式内社(名神大社)。旧社格は官幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。別称を「宝満宮」「竈門宮」ともいう。太宰府市東北に立つ宝満山に所在する神社で、社殿は次の2ヶ所に形成されている。主祭神は玉依姫命。
上宮~宝満山山頂(標高829.6m)
下宮~宝満山山麓(ここでは、下宮のみ参拝)

宝満山は太宰府の鬼門(東北)の位置にあることから、当社は「太宰府鎮護の神」として崇敬された。平安時代以降は神仏習合が進み、当社と一体化した大山寺は、西国の天台宗寺院では代表的な存在であった。宝満山には修験道の有数の道場があったが、明治期にこれらの仏教施設は廃された。しかしながら、今なお福岡県下には当社から勧請された約40社の神社があり、現在も宝満山に対する信仰・縁結び信仰により崇拝されている神社である。古来、「縁結び」「方除」「厄除」の神様として篤く信仰される。
当社社地を含む宝満山一体が国の史跡に指定されている。
竈門神社大鳥居
竈門神社参道の紅葉(楓や銀杏など約300本の落葉樹が色付き境内は紅葉の錦で染まります。)
手水舎 水鏡(水鏡に自身の顔を映すことで、心の内面を祓い清め、純粋で正直な心で祈れば願いが叶うと信じられている。)
拝殿及び幣殿と本殿の側面(昭和2年(1927年)に再建)
社務所と参集殿(平成24年、1350年大祭を記念して新築されました。)
御朱印所 樟の大木と手水舎、社務所

招霊の木


神代の昔、天岩戸の前で天宇受売命(あめのうずめのみこと)は招霊の枝をお持ちになり神楽舞を奏して天照大神を岩戸よりお出ましいただき、再び明るい平和な時代がまいりました。

招霊とは、神様を招くという意で、当社では良縁・幸福を招く霊験の木と崇められています。

再会(さいかち)の木


神功皇后は宝満山山頂にサイカチの木を植えられ、親しい人々との再会を祈念されたと伝えられる。

この木に向かって好きな人との再会や良縁、まだ見ぬ人との出逢いを祈ればきっと願いが叶うと言い伝えられている。

愛敬の岩


目を閉じて歩き、無事向こう側の石にたどり着くことが出来れば恋が叶うと言われています。

一度で出来れば早く願いが叶い、他の人からの助言により辿り着いた人は周りの人の助けにより願いが叶うと言い伝えられています。

末社 五穀社


古来、五穀神は五穀(米、麦、粟、稗、豆)の豊穣を守護し、天地万物の生成、種子の発芽を促す守護神と信じられています。

人が志を立て目標に立ち向かい進むとき、その兆しを興し道を切り開くお力を与えて下さると信じられています。

末社 夢想権之助神社


杖道の祖と称えられる夢想権之助は、江戸時代初期に活躍した剣客で、宝満山中で修業中に開眼し、「神道夢想流杖術」を大成しました。

現在でも、杖道愛好家の方々が御神徳を仰ぎ、毎月の神前稽古で技と心を磨いています。

末社 須佐社



出雲国に至った須佐之男命は櫛稲田姫を守るため、ヤマタノオロチを退治「八雲たつ出雲八重垣妻籠に八重垣つくるその八重垣を」という日本で最初の和歌を詠まれ、愛を育み永遠の契を結んで、たくさんの子宝に恵まれました。

良縁成就、家庭円満の象徴として尊ばれています。
約300本の落葉樹が例年11月中旬から下旬にかけて紅葉します。
清水寺本坊庭園

清水寺は、福岡県みやま市瀬高町本吉にある天台宗の寺院。山号は本吉山。本尊は千手観音。九州西国霊場第十六番。築後三十三観音二十八番札所。
寺伝によれば、平安時代初期の806年(大同元年)、唐から帰国してまもない最澄(伝教大師)は、一羽の雉の導きで清水寺のある山に分け入り、合歓の霊木を見つけたという。最澄はこの合歓の立木を刻んで二体の千手観音の木像を作り、内一体を京都の清水寺に、もう一体を安置する堂をこの地に創建したのが当寺の起源であるという。山中には、本堂、三重塔、山門等があるが、紅葉で有名な本坊庭園を訪れました。
本坊庭園は室町時代の作で、作者は雪舟(1420年~1506年)であろうと言われている。東南北に山を囲らし心字の池を中心とする庭石の配置、植込み、池にそそぐ暖、急の滝など、自然と人工の美が溶け合い、春夏秋冬いつ訪れても飽きない名園である。特に正面の愛宕山から登る中秋の名月は素晴らしく、その月が心字池にうつるように工夫された借景式の泉水庭である。新緑と紅葉の頃は殊のほか美しい。
昭和4年に国指定名園となる。
本坊前庭園の紅葉
本 坊 本坊の仏壇
 
清水寺本坊庭園の紅葉(愛宕山の借景が美しい)
太宰府政庁跡

太宰府政庁跡は、福岡県太宰府市大字観世音寺坂本にあり、大正10年に国の史跡に、昭和28年に国の特別史跡に指定されている。
古代、西海道と呼ばれた九州一円を統括していた太宰府は外交、貿易などの対外交渉の窓口として重要な任務を課せられていました。
発掘調査によると、7世紀後半に掘立柱建物が建てられ、8世紀初頭に礎石を用いた朝堂院形式の建物に整備される。この建物は藤原純友の乱によって焼打ちされたが、10世紀後半には立派に再建された。
現在、見ることが出来る礎石は、この再建期のもので、発掘調査をもとに復元したものである。
これらの建物は菅原道真が「都府の楼はわずかに瓦の色を看る」と詠っているように壮大なもので、当時としては中央の都の建物にも劣らぬものであった。
正殿は重層風につくられ、屋根は入母屋ないしは寄棟造りであったと思われる。
このように政庁を中心にして周囲は、数多くの役所が配置され、その規模は平城・平安の都に次ぐ「天下の一都会」であったと言える。
太宰府政庁跡全景 正殿跡(都府楼跡)
東楼跡 西楼跡
脇殿跡 後殿跡
太宰府政庁跡の脇道で坂本八幡宮に行く道の紅葉
坂本八幡宮

この坂本八幡宮は、太宰府政庁跡に隣接している。土地神、産土神として崇敬されている神社で、応神天皇を御祭神としている。平安時代に創建され、中世には天台宗の寺院で、本山の比叡山に習い、九州の天台寺院には境内に八幡宮を祀る形が多く見られます。
「梅花の宴」が行われた大伴旅人邸跡と伝わる。今まで、参拝者は少なかったが、令和になり一気に参拝者が増え、観光地化されている。
坂本八幡宮鳥居 坂本八幡宮本殿
大伴旅人の歌碑等
太原(たいばる)のイチョウ並木

太原は、福岡県八郷広川町久泉にある。太原地区のイチョウは、秋になると一面黄金色に染まり圧巻の景色を楽しむことが出来ます。見頃は例年11月中旬から下旬で、約80本のイチョウ並木と黄金の絨毯の美しさに感動します。この場所は私有地ですが、この時期観光客に備え、駐車場なども臨時に設けられています。
秋月城跡

秋月城は、福岡県朝倉市野鳥にあった城です。秋月陣屋ともいう。中世・戦国時代の古処山城の麓にあった秋月氏の館跡を利用して築かれた平城で、福岡藩の支藩秋月藩の藩庁であり、黒田氏が居城していた。一筋に掘られた堀と石垣を築き二重櫓や平櫓を5基建て並べていた。
明治期に廃城となり払い下げられた後、現在跡地には黒田長興を祀った「垂裕神社」が建てられている。
堀、石垣、裏門であった長屋門、旧大手門である黒門が垂裕神社の神門として移築され現存する。
桜の名所・杉の馬場(江戸時代は杉の木の街路であったが、明治時代に桜の街路になった。)
秋月美術館 秋月博物館
瓦坂(登城口) 長屋門
垂裕(すいよう)神社

垂裕神社は、福岡県朝倉市にある神社。旧社格は県社。祭神は垂裕明神(秋月藩初代藩主黒田長興)及び歴代藩主・藩主夫人・公子・秋月出身の島原の乱~太平洋戦争までの戦死者を祀る。
安政6年(1859年)、秋月藩第10代藩主黒田長元が初代藩主長興の200周忌を迎えるにあたり、その功績を記念するため秋月八幡宮宮司に命じて京都の吉田家に神号授与を申請。吉田家より「垂裕明神」の神号を与えられ、神霊を八幡宮相殿に祀ったのが始まりです。
明治5年(1872年)から3年がかりで現在地に社殿を建設。明治13年(1880年)に秋月城大手門(通称:黒門)を境内に移築しました。
垂裕神社大鳥居 黒 門
垂裕神社境内の紅葉
拝殿・本殿前鳥居 拝殿・本殿
秋月城之碑 湊川社
緒方春朔

緒方春朔は種痘の父と云われている。秋月藩医緒方春朔(1748年~1810年)は中国医書「医宗全鑑」の種痘に注目し、日夜研究に没頭した。寛政2年(1790年)鼻早種法という人痘種痘を完成させた時、上秋月の大庄屋天野甚左衛門より我が2児に試みをと申し出があり、春朔はこの2児に実施し、我国で初めて人痘種痘に成功しました。ジェンナーの牛痘種痘発明より6年前のことです。
日本初の種痘書「種痘必順辨」を著し、広く民衆に施し、多大の成果を収め、我国天然痘予防の先駆者として不滅の業績を残しました。
種痘の父 緒方春朔顕彰の碑(没200年記念) 種痘の始祖 緒方春朔の石碑
麻生大浦荘

春と秋に特別公開される麻生大浦荘は、「筑豊御三家」の一つに数えられた麻生家の別邸で、数奇を凝らした和風入母屋書院造りの美しい邸宅は大正末期に建てられたと云われています。1階773.4平方メートル(約234坪)2階62.7平方メートル(約19坪)の広さを持つ大浦荘の建材は主に檜と杉、柱は四方柾に製材されており非常に高価な木材が使用されています。また、欄間にも精緻細工が施されており、贅を尽くして建築されたことが伺えます。
入口門 入口門からの大浦荘
玄関の衝立 旧広間
応接間 旧仏間
庭園からの大浦荘(旧広間側) 庭園にある井戸
庭園にある池
麻生大浦荘庭園の紅葉 



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