奄美大島探訪


奄美大島

奄美大島に、令和2年(2020年)2月2日(日)・3日(月)初めて訪問しました。
奄美大島は、鹿児島県大島郡で、面積712.35k㎡であり、本州など4島を除くと佐渡島に次ぐ(参考:北方四島や沖縄県を入れると、大きい方から、択捉島ー国後島ー沖縄本島ー佐渡島ー奄美大島)。
鹿児島本土と沖縄本島のほぼ中間の洋上に位置する、亜熱帯性気候の島。その大部分を占める森林部には多くの生物が生息し、世界に誇る多様性と稀少性を併せ持っています。山々はきれいな水を作り、サンゴ礁が広がる美しい海を守ってきました。奄美大島はすべてが繋がり循環する、生命にぎわう豊かな島です。そんな島で暮らす人々は、自然に寄り添い、独自の文化を築いてきました。琉球、薩摩、アメリカと支配者が変わる歴史の波に翻弄されながら育んできたのは、なによりも人と人とのつながりを大切にする心です。
奄美大島は、年間の日照時間が日本一短い。大島海峡沿岸や湯湾岳などは奄美群島国立公園の一部となっている。降雪はほとんどなく、2016年1月に115年ぶりに降雪記録された。奄美大島の海岸には、サーフィンに適した波があり、サーファー達に人気がある。
 飛行機の上空から奄美大島を写す


奄美空港ターミナルと管制塔
奄美空港から龍郷町へ向かうバスから太平洋側の海岸の光景を写す
東シナ海側の龍郷湾の光景(右側の後方の建物は発電所)
鶏 飯

鶏飯とは、奄美大島の代表的な郷土料理。江戸時代の頃、薩摩の役人をもてなすために「殿様料理」とも呼ばれ、昔は鶏肉の炊き込みご飯のようなものであったらしい。戦後もっとあっさりとしたものをと工夫され、今風の美味しい鶏飯になりました。

(鶏肉、錦糸卵、しいたけ、パパイヤの漬物、タンカン(柑橘類)の干皮などの具を熱いご飯の上にのせ、地鶏スープをたっぷりかけていただきます。)
鶏飯の店「ひさ倉」と鶏飯の写真
黒糖焼酎工場

黒糖焼酎は、昭和28年奄美の日本復帰による特別措置により、全国で唯一の地域産業として国税局より奄美群島内だけに製造が認可されたものです。黒糖焼酎の主な原料は、さとうきびから造られる「黒糖」です。奄美大島でのさとうきび栽培は古く、400年以上前、大和村の直川智翁(すなおかわちおう)によって中国から持ち帰られ、同時に黒糖製造技術も伝えられました。これは沖縄(当時の琉球)より早く、日本で初めて造られた場所がここ奄美だったのです。


奄美黒糖焼酎製造工程

黒糖溶解⇒米むし⇒2次仕込み⇒蒸留⇒ビン詰め⇒出荷
さとうきび畑 黒糖溶解タンク

2次仕込み


黒糖溶解タンクで、前日溶かした黒糖溶液と水を加えます。米の白と黒糖の黒が混ざり、薄茶色のもろみが出来上がります。

ここで、約2週間ゆっくり発酵させます。

黒糖の糖分が、約2週間間かけてゆっくりと、アルコールにと変わります。
蒸 留 貯蔵(2年以上貯蔵し、熟成した上質なものにします。)
サンゴ礁の塊 名瀬付近にあるループ橋
黒潮の森マングロープパーク

マングロープとは、熱帯および亜熱帯地域の河口汽水域(海水と淡水が混ざり合う水域)の塩性湿地にて植物群落や森林を形成する常緑の高木や低木の総称。
奄美大島住吉町のマングロープは西表島に次いで2番目に大きいマングロープ原生林が広がる。
カヌーでマングロープ林を散策するのが人気です。
マングロープ館 カヌー発着所
カヌー乗場 マングロープの林とカヌー体験水路
カヌー体験の様子(マングロープの林の中の水路を楽しむ。)
マングロープパークでグラウンドゴルフを楽しむ地元の方々
ヒガンサクラが咲き誇っている
アダン(タコノキ科) ガジュマル(クワ科)
大浜海浜公園

大浜海浜公園は、サンゴ礁が砕けて出来た白浜の砂丘植物とこれに続くアダン群落。次にイトバショウ、ハマビワ、リュウキュウエヌキなどを中心にした防潮植物は亜熱帯海浜植物群落の特徴を良く表している。それらの植物は冬の東シナ海からの強風、夏の強烈な日射しと乾燥等の厳しい環境に耐えながら生育しています。
大浜海浜公園の砂浜と東シナ海

高 倉

南方より奄美諸島に伝わった穀物倉で、屋根裏が倉になっています。

足柱が高いのは、風通しを良くし湿気を防ぐためで、丸柱にして良く削り磨いてあるのはネズミが上まで登れないようにするためである。

また、火災や台風に備え、下の横棒を抜いて倒せるように1本の釘も使われていないこともこの高倉の大きな特徴です。
シャリンバイ

シャリンバイはバラ科の植物。海岸近くに生える低木で、4月頃に梅に似た真っ白い花を多数咲かせます。幹と根を煎じた汁は、「泥染め」とともに大島紬の重要な製造工程のテーチ木染めに使われますので、奄美にはなくてはならない植物です。
シャリンバイの木と幼木

アダン


アダンはタコノキ科。奄美大島の海岸を南国情緒に彩る代表的な植物です。

風に強く、雌雄異株で夏に乳白色の花を
咲かせます。

夏から秋にかけて、パイナップルに似た実を
結びますが、食用にはむきません。
イトバショウ(ばしょう科)

奄美や沖縄で古くから栽培されている多年草の草木植物です。奄美の人々はこの茎からとれる繊維で
織ったバショウ布の着物(バシャギン)を戦前まで着ていました。
奄美の方言で不美人のことを「ばしゃ山」と言いますが、その昔不美人の娘を持った親がバショウの山を
付けるから娘をもらってくれと頼んだことに由来しています。また、バナナのような実が出来ますが、
種子が多く食用にはむきません。
ガジュマル(クワ科) ヤシの木
ソテツ ハイビスカス
奄美市名瀬の名瀬新港と名瀬の繁華街「屋仁川通り」
奄美大島紬

本場奄美大島紬の起源は1300年以前にさかのぼり、日本に於いて最も古い歴史と伝統ある織物です。また、世界のなかでも類を見ない緻密な織物から「世界三大織物」の一つともいわれています。
その製造工程は約30~40もあり、各工程ごとに職人が手作業で創り上げていきます。

「奄美大島紬村」で大島紬の製造工程など見学
大島紬制作体験建屋 大島紬製造建屋
奄美大島紬の工程概要

奄美大島紬の製造工程の詳細は上記に示したが、概要は次の通り。
図案作成⇒整経⇒糊張り⇒締め加工⇒泥染め⇒加工⇒製織⇒検査
シャリンバイの幼木とシャリンバイの根や茎の細片
大島紬の染色法(シャリンバイ泥染色)

シャリンバイ染色は、シャリンバイの煎出液と泥土に含まれている鉄塩類の媒染によって独特のしぶみのある黒色に染色されることが特徴である。古くから受け継がれた染色法である。
シャリンバイ液にはカテコールタンニン色素と小量のカテキンが含まれており、この染液と泥土の中にある鉄塩類が水に不溶性の化合物を絹糸の上に造ることにより染色される。
シャリンバイ泥染工程とサンプルの説明 シャリンバイ煎出液
泥染池の一つ 泥染の様子
図案(設計図)の説明 整 経
絣筵解き 機織り
奄美大島紬村の庭園と庭園の中にある高倉(貯蔵庫)
境内にあるソテツとトックリヤシおよびハイビスカスの花
ルリカケス

ルリカケスとは、スズメ目カラス科カケス属に分類される鳥類。カラスの仲間で、奄美大島と徳之島だけに分布する。35㎝くらいの瑠璃色の綺麗な鳥です。鳴き声はギャーギャーと鳴き、結構ビックリするくらいに強烈です。一生を同じ相手と過ごします。感情豊かな鳥でもあります。
ルリカケスの写真と奄美大島紬村の林で戯れているルリカケス
奄美パーク

奄美は四方を海に囲まれ、切り立った山を背に集落が挟まれる形で、シマを形成している。この海、集落、山という地形の構造は、同時に奄美の歴史、民俗、文化にも深く大きく関わっている。
ここのドーム状の建物が、奄美の自然や文化・歴史を感じることが出来る「奄美の郷」です。
イベント広場のステージの奥に、総合展示ホールがある。総合展示ホールは、奄美の集落をモデル化し、「海の道」、「テーマウォール」、「シマの道」、「森の道」の4つのゾーンごとに、実物大の模型や写真、映像等で、奄美を見て知って体感してもらうもの。奄美の歴史を包括した独自の風習や民族、文化を分かりやすく理解してもらう趣旨で構成されています。展示館を出ると、「シアター」があり、奄美の自然や文化を映像で紹介しています。
「アイランドインフォメーション」広場では、各島の特徴が立体模型や展示物で紹介されています。
 
イベント広場 「海の道」ゾーン
「テーマウォール」ゾーン 「シマの道」ゾーン
   
 「遊びの庭」ゾーン アイランドインフォメーション広場 
 
アマミノクロウサギ


アマミノクロウサギは、国の特別天然記念物で、奄美大島と徳之島のみに生息する固有種です。

体長は約40~50㎝。

耳や手足が短く、ウサギの仲間で最も原始的な姿を残していると言われ、繁殖や休息のため巣穴を掘って生活しています。
 
   
 奄美パークにある展望台 ドーム状建物は「奄美の郷」 
   
 田中一村記念美術館 奄美空港 
   
展望台からの海景観(左:東シナ海、右:太平洋) 
   
奄美パーク境内の光景 
田中一村

明治41年(1908年)、栃木県に生まれる。幼い頃から画才を発揮し、7歳の時、父稲邨より「米邨」の号を与えられる。大正15年東京美術学校入学後、わずか2ヶ月余りで中退。その後南画家として活動する。
第19回青龍展に「白い花」を出品入選するが、その後中央画壇に入選することはなかった。
昭和33年50歳で奄美大島に移住。紬工場で染色工として働き、蓄えがが出来たら絵を描くという生活を繰り返し、亜熱帯の植物や動物を描き続け、独特の世界を作り上げた。絵描きとして、清貧で孤高な生き方を通した一村は、昭和52年69歳でひっそりと誰にも看取られずにその生涯を閉じた。
その後、一村の作品の一部が紹介されると大きな反響を呼び、少しづつ一村の素顔が世の中に知られるようになった。田中一村記念美術館では、年4回入替を行い、80数点ずつ常設展示しています。また、館の周辺には一村の絵の世界を亜熱帯の植物で再現した「一村の杜」があります。
 
   
田中一村記念美術館の正門と展示場 
   
田中一村記念美術館展示場と右は彫刻家「重村三雄」の代表作 




(「健康スポーツ」へ)

inserted by FC2 system