飛騨高山・白川郷散策


今回飛騨高山と白川郷に、令和2年(2020年)1月14日(火)に行きました。
ここは何度も行っていますが、冬の時期は今回が初めてです。
雪景色には恵まれませんでしたが、観光客は大勢いました。散策の様子を編集しました。
飛騨高山は、今回は「高山陣屋」を中心にし、その周辺を編集しました。


 岐阜県高山市

高山市は、現在市町村面積は全国で最も広く(山岳都市で山の面積が多い)、国際会議観光都市に指定され、人口は約87,500人である。古い町並みが残る(小京都)さんまち通りの狭い通りには、数多くの小さな博物館や、江戸時代にさかのぼる木造の商家が並んでいる。
春と秋に開催される「高山祭」は、1600年代半ばに始まった歴史あるお祭りで、「屋台」と呼ばれる豪華な金色の山車とからくり人形が呼び物です。
高山陣屋

高山陣屋は岐阜県高山市八軒町にある江戸時代の御役所である。元禄5年(1692年)、徳川幕府は飛騨を幕府の直轄地としました。それ以来、明治維新にいたるまでの176年に25代の代官・郡代が江戸から派遣され、幕府直轄領の行政・財政・警察などの政務を行いました。御役所・郡代役宅・御蔵等を併せて「高山陣屋」と称します。
明治維新後は、主要建物がそのまま地方官庁として使用されてきました。昭和44年に飛騨県事務所が移転したのを機に、岐阜県教育委員会は、全国にただ一つ現存する徳川幕府郡代役所を保存するため、平成8年3月まで三次にわたり、復元修理を行いました。こうして、江戸時代の高山陣屋の姿がよみがえりました。

高山陣屋表門 問屋梅と井戸跡
玄 関 玄関之間
御役所 町年寄詰所と寺院詰所
詰所からの外観 湯呑所(休憩所)
書役部屋 座 敷
座敷からの庭園 女中部屋
土  間
台 所 居 間
広 間 使者之間

御白洲


砂利が敷かれ白く見えるので白洲という。

犯罪者を吟味する所。

一般庶民は白洲、
由緒ある浪人や御用達町人は板縁、
武士・僧侶・神官は縁側で吟味を受けた。
門番所 建物の手前:吟味所、奥:使者之間

御 蔵


元禄8年(1695年)高山陣屋の設置に伴って高山城三之丸にあった米蔵の内二棟(各24間×6間・8戸前)を移築し、高山御蔵(年貢米の蔵)とした。

現存する一棟は、江戸時代の米蔵として400年余の歴史を持ち、国内最大規模の建物である。

壁面の傾斜や通風口などに工夫が見られます。
御蔵に保管される年貢米 御蔵の一画にある「郡代の経過などの資料
高山市市政記念館「旧高山町役場」

この建物は明治28年に高山町役場として建てられました。その後、昭和43年まで市役所庁舎として使われ、現在は高山市市政記念館になっています。市指定文化財です。
高山市市政記念館
館内の展示品
中 橋 中橋から宮川の景観
上三之町商店街
日枝神社御旅所、日枝神社御神符授与所

飛騨匠 韓志和像


韓志和(からしわ)は飛騨匠の一人と伝えられる彫刻の名手で、平安時代初期に、自作の木鶴に乗り唐土(中国)へ渡り、時の穆宗に入神の妙技を見せたといわれる伝説上の人物。

市制50周年にあたり、高山市の飛躍を象徴するものとして、伝説を具象化し、本公園の記念碑としたものである。

山岡鉄舟像


山岡鉄舟は、1845年飛騨郡代となった父とともに
「高山陣屋」に入った。

山岡鉄舟は、その後書・剣・禅などを学び、

幕末には勝海舟と共に江戸を戦火から救い

、維新後は明治天皇の侍従等をつとめた。
白川郷

白川郷は、岐阜県内の庄川流域の呼称である。白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる。独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定され、1995年には
五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に「白川郷五箇山の合掌造り集落」として、ユネスコの世界遺産
(文化遺産)に登録された。
白川郷の荻町地区は、今も実生活の場として使われている所に価値があり、それが他地域の合掌民家集落と違う所である。「世界遺産白川郷合掌造り保存財団」などがその保存にあたっている。毎年1月と2月頃の週末にはライトアップが行われる。尚、2019年からライトアップ見学は完全予約制となりました。
白川郷駐車場付近の合掌集落
駐車場から合掌集落へ、庄川に架かる「であい橋」 「であい橋」からの庄川の景観
和田家住宅(国指定重要文化財

和田家は、天正元年(1573年)以来、代々弥右衛門を名乗っていたことが知られ、江戸時代には名主や牛首口の番所役人を務めるとともに、白川郷の重要な現金収入源であった焔硝の取引によって栄えた。
和田家住宅は、白川村荻町伝統的建造物群保存地区内の北部に位置し、西に面する主屋を中心にして、前方右手に便所、後方左手に土蔵が建つ。屋敷の周囲には、石組の消雪溝や池を配し、主屋の北側に屈曲する石組溝と池からなる庭園を設け、その北に石垣と防風林を備える。
建築年代は不明であるが、主屋・土蔵・便所ともに江戸時代中期の建築と考えられている。
主屋は桁行22.3m(12間)、梁間12.8mの平面を持つ一重三階の大型の合掌造り民家であり、両側と背面に庇が付属する。
和田家住宅は、合掌造り民家として最大級の規模を持つ質の高い建築であり、式台付の玄関を備えるなど格式の高い造りとなっており、世界遺産白川郷の合掌造り集落を代表する民家である。
主屋、土蔵、便所~国指定重要文化財
板蔵、稲架小屋~県指定重要文化財
和田家住宅
民宿「利兵衛」 公 園
   
合掌造りの家(右中央は新しく葺き替えた茅葺屋根)
お土産売店 民宿「孫右ェ門」 
放水銃(合掌造りの家々に備えてある所が多い。)
民宿「幸エ門」 民宿「与四郎」
文化喫茶「郷愁」 唐臼所(米・粟・ひえなどの精米所)
明善寺鐘楼門(岐阜県指定重要文化財) 明善寺本堂

明善寺庫裡


当村で一番大きい合掌造り。

岐阜県指定重要文化財。

江戸時代末期に建立された5階建ての合掌造り。
本覚寺本堂 本覚寺鐘楼

「おおたザクラ」


岐阜県指定天然記念物。

当初は「塩釜桜」と呼ばれていたが、太田洋愛画伯

が専門家に鑑定を依頼し、新種であることが

判明し「おおたザクラ」と命名された。

本覚寺の前にある。

秋葉神社


この地区一帯は火災になりやすい茅葺屋根の合掌家屋が点在する世界文化遺産の荻町合掌集落。
江戸時代、度重なる火災と特に天明3~7年(1783年~1787年)の大飢饉の上、悪疫が流行し、荻町村(荻町合掌集落)で230人もの人々が亡くなりました。
この苦境を乗り越えようと相談の結果、小神堂を建立し、火伏せ神を祀り平和を祈りました。
大正時代に神殿を改修し、秋葉神社と改め、現在に至っています。




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